京都精華大学ギャラリーフロール
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塩田千春展 -When Mind Become Form--

ギャラリーフロールでは、2005年4月23日から5月29日にかけで、京都精華大学出身の新鋭美術作家・塩田千春の、日本初の大規模展覧会を行いました。本展覧会では作家の過去5年から最新作までのインスタレーション、立体、映像作品など約10作品を展示し、作家のこれまでの歩みと現在を提示しました。展覧会初日に行われたギャラリートークでは、作家ご自身に作品について語っていただきました。聞き手はギャラリーフロール学芸員の小林昌夫です。

○塩田

今回、このフロールの展示のために帰ってきました。いま、胸がいっぱいです。

ドイツに行って9年目になるんですけれども、親孝行なんてしたことがなかったんです。でも今日は両親がやって来ているんです。父親とかも車椅子でやってきているので、すごく胸がいっぱいで、ほんとうに今回の展覧会ができて、よかったなと思っています。何と言っていいのか、わかりません。

○小林

実はこの展覧会は、約2年少し前に私から開催の打診をいたしまして、その後2年間をかけて、いろいろなやりとり、打ち合わせ等をしながら、今回、このようなかたちになりました。

2週間かけ、この会場内のインスタレーション、展示作業をおこなったのですが、塩田さん、この完成した展示を見られて、作家ご自身として、どのような感想を、まずお持ちになったでしょうか。

○塩田

実は「窓」という素材は、この展覧会で、はじめて使うものです。実際、自分のなかではまだ完成していない、はじめての素材のようで、これからいま、「窓」という素材がはじまった感じです。

一つの作品をつくるのに5年くらいかかるんです。小林さんからのこの展覧会の話があって、いまはじめて「窓」という作品ができて、これからあと3年くらいかけながら、この作品をつくっていくのではないかと思っています。

○小林

それでは会場内に移動して、作品の前でお話を続けたいのですが、なにぶん、予想以上に多くの方にお集まりいただきましたので、くれぐれも作品にぶつかったり、おけがをされたりということがないようにご注意ください。

○小林

たいへんお待たせいたしました。

最初の部屋は、窓によるインスタレーションなのですが「閉ざされた日常」というタイトルがついております。窓を使ったインスタレーションは、今回、日本でははじめての展示ということになるわけです。まず窓を使ってみようとしたきっかけや、創作の過程についてお聞かせください。

○塩田

一番最初に窓を使った作品をしようと思ったのは、オランダの精神病院の跡地で、グループ展をしたときです。窓に鍵がない、窓を開けようとしても開けられない展示会場で展示したことがきっかけとなりました。

いまドイツの旧東ベルリンに住んでいるんですけれども、東ベルリンの人たちがこの窓を通しながら、西ベルリンを見て生活をしていたことなどを感じながら、私のなかの内と外の関係というか、私の身体のなかの境界線のようなものを感じて、皮膚の境界線のようなものを感じながら作品をつくれたらと思って、窓というテーマに焦点を置いて作品をつくりました。

○小林

実際この窓は、正確に言うと530いくつの数を展示し、完成された形で、はじめて私は見たのですが、材料のこの窓は、実際どのようにコレクションというか、集められたのでしょうか。

○塩田

1989年にベルリンの壁が崩壊されてからの、ベルリンの再開発というのが、すごくめざましいわけです。そのなかで工事現場を自転車で歩き回リ、日によっては20件もの工事現場を回りながら「すみません、余った窓はないですか」というかたちで集めました。

○小林

実際、去年の夏にベルリンで打ち合わせをしたときに、ベルリンにいくつか、部屋というかおうちを持っていらっしゃるんですが、そのうちの、日本で言えばマンションの一区画の各部屋が、すべてがこの窓で埋め尽くされている光景を見まして、企画する者として、いったいこの窓がどういうかたちになって作品になるのかというのが、興味深いこともあり、なおかつちょっと不安も感じたんです。

そのアパートで600近くの窓枠をストックされている状況と、最終的なこのインスタレーションのかたちというのは、塩田さんのなかではどのように結びついて、制作に向けられたのでしょうか。

○塩田

2年前に小林さんから話がきて、最初はドアにしようかという話があったんですけれども、やはり精神病院の跡地の展覧会から、やはり外が見えるという状態にこだわって、窓を集めてきたわけなんです。

集めると同時に、また展示すると同時に、私にとって窓というのは一体何なんだろうということを考えながら、搬入のときに、これはもしかして第3の皮膚ではないかという点にぶち当たりました。

第1の皮膚は自分の皮膚です。そして第2の皮膚というのが自分の洋服であれば、第3の皮膚というのは、建築、またはその境界、壁であったり、窓であったり、ドアであるのではないかという思いに至りました。

そしてこの窓を使って、内と外と、内側にいる自分から外側を見られる自分の存在と、その境界線に立った現在の自分の存在を、このインスタレーション、窓でつくった閉ざされた部屋を見ながら、皮膚のような感覚でインスタレーションをつくることができればいいなという思いで、搬入中、考えながら制作していました。

○小林

右手奥の壁に、ビデオ作品のインスタレーションを、併せて展示しております。

この作品はどういった状況を撮影したビデオなんでしょうか。

○塩田

空港で会う人々を撮った作品です。

○小林

空港の出口のところで、出迎えの方との再会という場面ですね。

これは一昨年になりますが、ドイツのシュトゥットガルトにあるクンストフェラインという美術館で、一つのインスタレーションによる大きな個展を開催されたときにも、たしかこの映像を上映されていたと思うんです。

これを見ますと、糸のネット状ものが画面に映しこまれているんですが、これはどのような意図で、あるいはどういったつくり方をされているんですか。

○塩田

関係が編み込まれた状態です。

再会のシーンを撮ろうと思ったのは、ドイツに住んで、もう9年目になるんですけれども、自分自身のなかで帰り道がないという思いがありました。はたしてドイツに帰ると書けばいいのか、日本に帰ると書けばいいのか、日本に行くと書けばいいのか、ドイツに行くと書けばいいのか、どっちを書けばいいのかという思いがあったんです。それはもっとつきつめると、自分自身に、実際の帰り道というものがないのではないかという思いになったんです。

いま、1年に10回ぐらい展覧会をやっているんですけれども、展覧会を繰り返すうちに、私のなかの帰る場所というのは、いったいどこであるのだろうかという点にぶち当たったんです。

空港で会う人たちの表情を見ていると、実際に帰る場所というのは、その人の心の中にあるのではないかと思ったのです。空港で会う人たちの表情がすごく自然で、よかったので、映像に残して表現したものです。

○小林

みなさんの右手奥に、ベッドと糸による作品「・・・への不安」という作品が展示されております。ベッドと糸と、垂れ流しの水が流れ落ちる洗面台がインスタレーションがされているものです。ベッドと糸による作品というのは、以前から何度か繰り返し制作されておりますけれども、この作品の意図というのは、どういったところにあるのでしょうか。

○塩田

子どものころから、不安なことがあると、明け方の4時か5時に目が覚めて、部屋全体が、自分の部屋が編み込まれた状態になっているんです。そういった状態で、目を開けたまま眠るんです。そして朝の7時ぐらいになると、また鳥の声を聞きながら眠るという状態が続いていました。そのなかで、編み込まれた不安、思想というものを、何かの表現にできたらいいなと思ったんです。

一番最初に発表したのは、たぶん1999年に、自分の部屋のベッドを糸で編むというかたちで発表しました。

発表したというか、その場で、私自身のなかで、そんな問題が解けたらいいなと思っていたんですけれども、ベッドの前に糸を張りながら、そういった明け方の不安が表現になればいいなと思い、インスタレーションをしたんです。

その時期というのは、ドイツに来て3年目の時期です。3年間のあいだに9回の引っ越しをしながら、また3回入院をしながら、朝、目が覚めると、ここはどこかわからないという状態が続いたんです。その状態を糸で縛ってしまいたい、どこかをはっきりとしてしまいたいという気持ちもありながら生まれた作品だと思います。

○小林

今回の展示では、このように糸を張っておりますので、作品としての状態で展示させていただいているのですが、ほかの、糸を使ったいままでの展示では、実際に塩田さんご自身とかパ_フォーマーの方が、何時間も横たわり続けるという演出もされていらっしゃいますね。

パフォーマンスが入る場合でも、先ほどおっしゃったような、自分自身の居所、所在に対する不安感というものを表現されようとしているのでしょうか。

○塩田

不安感というか、いつも自分のなかで居場所を探しているところはあります。だから空港で、あの再会する人々の映像を撮るようなところもあると思います。

ほんとうは居場所ではなくて、その人の心の中に、帰る場所があるんじゃないかという問いは、もちろん自分自身にもあります。

このベッドと糸の作品は、2000年から発表している作品で、私一人が眠るときもありますし、展覧会のオープニングに20台のベッドを使って発表したときは、20人の人に寝てもらったときもありました。そのときはまた違うコンセプトでやっているんですけれども、いつも帰るところはどこだろうという気持ちは、自分のなかにあります。

○小林

それでは順番では、左手奥の、現在小展示室と呼んでおりますけれども、小さなフロアに展示しておりますビデオの作品について、お話をうかがいたいと思います。

まず写真の作品なんですが、先ほど塩田さんから、窓を使うきっかけとなったというお話があったのですが、オランダの精神病院の跡地での発表の写真の作品になっております。これも実際にインスタレーションをそこでやる展覧会ということだったんですね。それを残した写真の作品となっております。

もう少し、その展覧会の経緯とか、そこで感じ取ったことがらについて、お聞かせください。

○塩田

オランダで展覧会をしたときは、8年間、誰も入ったことがない精神病院の跡地でのグループ展だったんですけれども、その中に入っていた精神がまだ残っているような状態だったんです。そのなかで私ははじめて糸を切るという状態で、展示をしたかったんです。

やはり糸を切るという展示は保たれないということがあったので、写真に残そうというかたちで、写真に残しました。

糸というのは、人の心を結ぶ、切る、もつれる、絡まる、人の心を表すんじゃないかと思うんです。その精神病院の展覧会で、糸ということを発表するときに、やはりその糸が切れた状態、精神が張りつめた状態が切れる状態というのを発表したくて、写真に残しました。

○小林

ビデオ作品を2点出品しております。1999年に制作された「Bathroom」と、2004年、これが最新作ということになると思いますが「落ちる砂」の2点になりますけれども、これはどちらもご自身の自宅やスタジオで撮影されているわけですね。

まず「Bathroom」のあのバスルームは、ご自宅の、窓のついたバスルームでの撮影ということでしょうか。

○塩田

ドイツに行ったきっかけというのは、マグダレーナ・アバカノヴィッチに習いたいというものでした。ポーランド人のファイバーアートをやっているアーティストですけれども、彼女のもとで学びたいという気持ちがあって、ドイツに行ったわけです。

しかし実際に会った人というのは、マリーナ・アブラモヴィッチという人でした。旧ユーゴスラビア出身の、身体を使って継続、疲労というか、身体を超えた作品をつくる作家だったわけなんです。

授業のなかで、断食修行というのがありました。1週間、学生をフランスのお城に閉じこめて断食をするんです。何も食べられない、何も話せない。唯一話せるのが、彼女1人という授業をしながら、毎日まいにち変わった授業をするんです。真っ赤な折り紙の色を見ながら考えたことは何かとか、自分の思いを2時間かけて描く。目隠しをして湖の周りを回るとか、そういった授業をする先生だったんです。

そのなかでの5日間何も食べないときに、朝の5時に彼女がやって来て、「千春、何かひとこと書いて」と言って、メモ用紙と鉛筆を持ってくるんです。朝の5時だから、私はもうろうとしていたし、5日間、何も話さなければ、本当に何も浮かばない状態なんですけれども、一つ浮かんだことが、「ジャパン」だったんです。「日本」という言葉です。そういった状況に追いこまれると、やっぱり日本に帰りたいというか、そういった思いがあって「ジャパン」とひとこと書いたんです。

その次の日に、じゃあ、私が書いたその「ジャパン」という言葉について、何か作品をつくりなさいというのが課題のテーマでした。

そのなかで私は何を表現すればいいのかということを考えながら、いまも共通するんですけれども、私は日本に帰ればベルリンがすごく懐かしい。ベルリンに帰れば日本がすごく懐かしい。そういった思いのなかで作品をつくっています。

そのなかで発表した作品が「Bathroom」のなかに含まれているのかと思います。土のなかで、泥水をかぶりながら、自分をあるべきもとに還る場所を探す、この土を買うという時代のなかで、それが私自身の帰る場所であり、また呼吸をする場所であるのではないかという思いで、「Bathroom」というビデオ映像のパフォーマンスなんですけれども、映像に残した作品です。

土というのは、実際、手に入るんですけれども、いまは土を買いに行く時代であって、その買った土を、泥水をかぶりながら、自分がやっと呼吸できる、自分であって、日本人である。そういったものが含まれています。

○小林

BecomingPaint94それに比べて去年の「落ちる砂」のほうは、映像的にも少し処理をしていて、映像映像した作品といいますか、そういったところが感じられたんです。

あのフレームテクニックなどというのは、全部、塩田さんご自身でされているんですか。

○塩田

「落ちる砂」については、私が現実のなかで夢に出るんです。こうやって小林さんと話している場所も、その現実のなかで夢を見て、夢のなかで会話をしているようなんです。その枕の下から砂が落ちる、夢が落ちるという気持ちを交えながら、映像をつくった作品です。

○小林

少し話は戻るんですが、マグダレーナ・アバカノヴィッチとマリーナ・アブラモヴィッチさんについてです。

これは、雑誌でご本人がインタビューに答えていらっしゃるんですけれども、1990年だったと思いますが、お隣の滋賀県立近代美術館で、ポーランドの海外の作家のマグダレーナ・アバカノヴィッチの大きな展覧会が開かれました。規模としては非常に大きな展覧会だったんですが、それを在学中にご覧になって、非常に感銘を受けて、このアバカノビッチさんのもとで勉強してみたいということで、願書を送ったんですが、ちょっとした行き違いで、旧ユーゴスラビア出身マリーナ・アブラモヴィッチさん、この方も女性の作家ですけれども、結果的にその方の指導を受けることになって、先ほど言った、フランスでの一種、行とも言えるような授業というかレッスンを受けていかれたということです。

アブラモビッチさんの作品自体も、非常に、ときに幻想的、あるいは禅を感じるような、一種の宗教的な要素も含んだ制作を続けていらっしゃる方です。

私事になるんですが、実はその十何年前に、滋賀県立近代美術館で開催されたアバカノヴィッチ展を企画したのは、私だったんです。十何年ぶりに今度、いっしょに展覧会をすることになって、どういうわけか、また十何年ぶりに戻ってきたという、私としても非常に感慨深い思いです。私事で失礼いたしました。

それでは2階に移っていただきたいと思いますので、また順番に階段をお上がりください。

○小林

BecomingPaint94いま2階には1点だけ作品を展示しております。「皮膚からの記憶」というタイトルがついております。

ドレスとシャワーの作品というのは、過去、ドイツのボンの国立美術館での展覧会で、また非常に話題を集めましたけれども、第1回横浜トリエンナーレで、このドレスとシャワーの作品を展示されました。

特に共通したテーマですので、このシャワーの作品について、その制作意図について、まずお聞かせいただきたいと思います。

○塩田

私はベルリンに住んでいるんですけれども、ベルリンというまちはずいぶん自由なまちであって、私が日本人であることも、トルコ人であることも、アメリカ人であることも、きっと皮膚によって、作品を見るのではない、自由な都市だと思うんです。

その自由な都市に住みついて、私自身に対しての皮膚に関する存在というか、こびりついた皮膚に対する記憶というのは、一生、水に落とすことができないのではないかと思いながらつくった作品です。自分が生まれて死んでいく、そして土に還る、その土を流し落とすことができない皮膚からの記憶というものを感じながら創作をしたのが、この作品で、「皮膚からの記憶」というタイトルで。

○小林

BecomingPaint94ということは、下で先ほどお話された、ビデオの「Bathroom」にも関連があるわけですよね。

○塩田

「Bathroom」というビデオ作品は、やはり自分のもとある原因の間に還る場所というか、私は日本に生まれて、日本で育ったわけです。でも実際、自分の故郷が日本であるかという疑問があったわけです。

「故郷というものは自分の心のなかにある」という言葉が心のなかにあって、私の心のなかに故郷という言葉があるとすれば、帰るもとというか、そのもととなる場所というのはどこだろうというのを考えながら、作品をつくりました。

○小林
BecomingPaint94

話は戻るんですけれども、先ほどの窓による作品「閉ざされた日常」のなかで、焼けた状態のピアノが、インスタレーションの一部として使われています。

素材の持つ表現のテクスチャーというのか、表情といってもいいと思うのですけれども、私はそのドレスの表情と、焼けただれたピアノの表情というものに、ある共通性というものを感じたんですけれども、塩田さんご自身はどのように捉えていらっしゃいますか。

○塩田

「僕のピアノに音はない」という詩集の言葉を強調しながらつくった作品です。何か自分が言おうとしたいんだけれども、言葉にならない、言葉にすればするほど、自分がみすぼらしくなる、抽象化してしまうという言葉をもとにつくった作品です。

ピアノの作品に見えるんですけれども、音を失ったピアノというものを、何か表現をしようとする、その表現をするピアノと作家のあいだに、感覚のなかでの共通性があると思うんです。

いま、私自身の立場において、何かを表現したいんだけれども、焼けたピアノに音はない。本音を言いたいんだけれども、私自身のピアノに音はない。そういった言葉が、いまの自分自身にあるんです。

○小林

BecomingPaint94このピアノは、この精華大学フロールに運んできてから、屋外で火をつけて燃やしたんです。一気に火が回っていくと、ハンマーとか、木のところから燃えていくんですけれども、思いもかけず、ピアノの弦が熱で切れるんですね。そのときに本当にピアノを叩いているような音色というか、音が聞こえました。記録したビデオのなかでも、その音が収録されました。

今回はその音を拾って、ピアノのところで音を出そうかというプランもあったんですけれども、それはいまのお話に共通すると思うんですけれども、音のない声といいますか、そういったところも考えて、結局、それはしませんでした。

ただ、いまのお話をうかがうと、そのピアノの失われていく声とか、失われていく音が、最後の音ということで、塩田さんの何か別の作品のなかで使われるというか、現れてくる予感がします。

○小林

せっかくですので、学外からおこしいただいた方、あるいは後輩の学生の方もたくさんいらっしゃると思うんですが、この機会にぜひ、塩田千春さんに聞いてみたいということがありましたら、ご遠慮なく手を挙げてください。

○会場1

前にアセンブリーアワーで講演されましたよね。あのとき私は、スタッフをやっていたんです。それで最後に詩を読まれましたね。あれは誰の詩で、どういうことで、あのとき、あの詩を読まれたんですか。

○塩田

谷川俊太郎の詩だったと思います。

私はおじいさんよりも、おばあさんよりも、遠いところに行ってしまったという思いがあって、そういう遠いところで、いったい私は何を思うんだろうという思いがありました。

○会場2

塩田さんの作品の衣服でも、すごく広がったスカートを使っていらっしゃいますよね。そういう作品がすごく、やっぱり女の人というものを感じるんですけれども、塩田さんにとって、自分の性と作品と、どのような関連を持っていますか。

○塩田

私は日本にいるとき、ずっと女性としてコンプレックスを持っていました。女であるから、こういった作品はできないとか、そういった思いがあったんですけれども、ドイツに行って一切なくなりました。

ドイツに行ってからは、女であっても男であっても、芸術を表現するという言葉というか、その表現に対して、男でも女でも関係ないという言葉に共感を受けました。

実際、私の身体の内に対する女であるとか、目で感じる思いであるとかを理解したら、男でも女でも関係ないのではないかという思いに達しました。

○会場3

BecomingPaint94いつも感銘を受けながら拝見させていただいております。

1つ、コンセプトとかの部分ではなくて、単純に作品の制作の段階で、たとえばこのシャワーのシステムとかは、ご自身でつくられているのでしょうか。

○塩田

もちろんです。

○小林

設備的なことですか。

○会場3

そうです。

○塩田

設備はもちろん違います。アーティストなので、空中に石を置かせるような思いがあるんです。このドレスとシャワーの状態を、こういったかたちでできますかという状態は、小林さんにつきあっていただきました。

実際にアーティストは、結果しか思っていないんです。この絵はこうしたい、たとえば空中に石を浮かせてくださいという思いがあるわけですけれども、そのあとはわからないということがあると思うんです。

それを達成していただいたのは小林さんであって、今回、この展示会場を見て、じゃあこの場所であれば、真ん中に絵を描くというふうに、ドレスを発表してください。実際に自分が思ったのは、一番上なんですけれども、そういった条件があったと思います。

こういった状態で発表できたことをうれしく思います。

○小林

さらに言えば、私はこんなものをつくれるわけがありませんので、専門の業者につくっていただいたということです。それを監督するのが私の仕事の一つであるということの意味であろうかと思います。

○塩田

アーティストのわがままを、いつも黙ってつくっていただけるのが、学芸員の仕事だと思うんです。それを今回、こういった4メートルの高さでドレスを10着発表してくださいと言った私の言葉を、それだけ信じてくれたことに、本当に感謝いたします。

○小林

それでは、予定の時間になりましたので、以上で本日の塩田千春展ギャラリートークを終了させていただきたいと思います。

みなさまにはご静聴ありがとうございました。また塩田千春さんには、昨日までのインスタレーションの作業もやっていただいた緊張のなかで、また5年ぶりだということで、ご両親やお知り合いの方々がたくさんみえて、ちょっと緊張されたなかで、私自身も知らなかったいろいろな思いなどを聞かせていただいて、ほんとうにありがとうございました。みなさんで拍手を送りたいと思います。


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